日本にもマチュピチュと同じくらい絶景の場所がある。
山城遺跡として全国でもまれな完存する遺構であり、
虎が臥せているように見えることから
「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれている。
兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169番地
東に立雲峡を望む標高353.7メートルの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは、南北約400メートル、東西約100メートル。
天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。
廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。
但馬守護・山名氏の支城として築城された。秀吉の但馬攻略で、弟の秀長に与えられ、
秀長没後は秀吉に投降した龍野城主・赤松広秀が城主となる。
天空の城とよばれるには写真のとおり
山の上に城があり、その下に雲がかかって飛んでいるように見えるためである。
「城をめぐる 兵たちの夢跡を歩く」(マガジントップ/山海堂)という本によると
「山麓を流れる円山川から朝霧がのぼるのは、10月下旬から12月中旬のよく晴れて冷え込んだ翌朝が多いという」
「霧が立ち上るのは、前日よく晴れて夜半冷え込んだ夜明け、朝8時頃まで続くことも。」とのこと。
秋口の西高東低の、冷え込みの強い朝を狙い目。
霧は風に煽られて刻々と変化するので、できれば天守台あたりから定点観測で暫くその変化の表情を楽しむ。
その竹田城が外観が損なわれつつある。
竹田城跡はテレビドラマのロケが行われるなど、雲海に浮かぶ「天空の城」として人気が急上昇。
昨年は京阪神などから約23万7千人が来訪、11月は1日平均約3千人が入山している。
観光客の急増に伴い、坂道の表面にくぼみができ、石積みが緩んだりして、歩行危険個所が出現。
19日には坂道の石垣から西宮市の男性が誤って転落し、腰の骨を折る重傷を負った。
それにより、市が立ち入り禁止の立て札を立てたり、ロープを張ったり、草を刈り土嚢を積むなど補修作業を行った。
また竹田城までの道路に路肩駐車の列が並ぶなど、観光客のマナーにも問題が上がっている。
本来であれば長く続く美しき外観をそのまま残しておきたいが、そうもいっていられない。
近代的なものが置かれるだけでその美しさはなくなってしまう。
マナーもそうだが、くれぐれも気をつけていただきたい。